2018年1月1日月曜日

棒家 哲(ぼうや さとし)自己紹介①

はじめまして、

棒家 哲(ぼうや さとし)

と申します。

私は住宅営業+マネージャーの仕事をしておりまして、
これまで多くの方に家を建ててもらいました。

いろんなお客さんがいました。

いっぱい失敗もしました。

そんな私の営業経験や学んだことをを
記録していきたいと思い、こうしてブログを
立ち上げた次第です。


私には小さいころからの夢がありました。


庭付き一戸建ての丈夫な家に住むことです。

そしてその夢は、もうすでに叶っています。

何億円も稼いで大金持ちになりたい、とか
プロ野球選手になりたい、とか
大きい会社の社長になりたい、とか
有名になりたい、とか、
そんな夢を抱いたことは一度もありませんでした。

自分の家がほしい。

小さいころから、毎日このことばかりを
考えていました。

私が小さいころに住んでいた家は、
ボロボロの市営住宅でした。

父、母、私、妹が2人の5人で暮らしていました。

6帖の部屋×2、キッチン、トイレ、です。

お風呂はありません。

私はこの家が嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。

家族は好きでした。

父は働き者で、母は優しく、暴力を受けるとか
育児放棄をされるとか、浮気どうのこうの
みたいな話は一切ありません。

ただ、自分の家が嫌い。大嫌い。


物心ついたときから思っていましたし、
劣等感の塊でした。

小学校4年生くらいになると友達の家に
遊びに行ったり、遊びに来てもらったり
してたんですが、そのたびに、
「うちって狭いなぁ、汚いな」
と思っていました。

母親はきちんと掃除していました。

でも私は、 「汚い」 と感じていたんです。

好きな女の子に自分の家を教えるなんて
絶対にできませんでした。

6年生の時に、図工の宿題で自分の部屋の
絵を描いて持ってくる、という宿題がでました。

市営住宅ですから、私の部屋なんてありません。

私と妹2人の3人で6帖の部屋をタンスで
仕切っていました。

父のお古の事務机がありまして、それを
私個人のスペースにしていました。

部屋がありませんので、仕方なく
自分の机の周りの絵を描いて出したところ
なぜか先生に褒められて、
それが逆に無性に悲しく、泣いてしまいました。

毎晩、自分の部屋を持つ夢を見て、

そして、泣いていました。


部屋をもらえた! やったー!! と思っても
目が覚めたらいつもの部屋。

ボロボロの市営住宅ですから、当然、
壁も薄いわけです。

うちの隣は50代くらいの夫婦が
住んでいました。

毎晩、ものすごい勢いで喧嘩です。

隣の奥さんは、いかにもきつめ、といった顔立ち。

いつもタバコを吸っていましたから、
ガラガラで低い声。

だから怒鳴り声がどっちもおっさんなんですね。

ガシャーン! ドスーン! 
でおっさんの怒鳴り声×2。

大人のマジ喧嘩というのは、子どもにとって
恐怖以外の何物でもありません。

父親は帰りが遅かったので男は私一人、
なんかあったらどうしよう・・・
と毎日不安な気持ちでした。

だから、一軒家に住みたい、そう思ったのは
小学生のときですね。

おそらく妹二人も同じ夢を見ていたのでは
ないかと思います。

つづく。